伊波普猷文庫
国文学研究資料館が推進し、琉球大学が参画している「日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」によりデジタル化された資料です。
史料の題簽(題字)には、『君南風之由来記(きみはえのゆらいき)』とあるが、『君南風由来并位階且公事』(きみはえゆらいならびにいかいかつくじ)… On the slip of paper bearing the title inside of this record is written Ki
伊波普猷写。題名の『久米島旧記』は伊波自身によるものか。
The book Kumejima Kyūki (The History of Kumejima) may have been entitl田島利三郎(たじまりさぶろう)による写本。
A copy made by Tajima Risaburō.那覇に関わる地名・名所・旧跡・行政機関・役職などの由来や来歴を記した書で、康熙48年(1709)に作成された。
Written in 1709, Naha Yuraiki contains the history and origin of offic琉球国由来記は、琉球国に関する最古の体系的な地誌資料。
Ryūkyūkoku Yuraiki (Records of the Origin of the Ryukyu Kingdom) is th写者及び年代不詳。琉球王国時代に編集された碑文の文面や冊封使の題字などを集めた記録。
A record of the inscriptions and handwriting of Chinese envoys, compiled at t琉球王家、第一尚氏の由来・伝承を記した記録。
Samekawa Ōnushi Yuraiki (Records of the Ryukyuan Royal Family) describ本書は、1600年(尚寧12)に泉州堺より渡来し、茶道をもって尚寧王に仕えた閔氏喜安入道蕃元(びんうじ・きあんにゅうどう・ばんげん)の日記。
Kian Nikki is a diary of Bin'uji Kian Nyūdō Bangen from Sakai, Senshū『琉球見聞録』、『琉球三冤録』と共に喜舎場朝賢作の琉球王国末期の基本文献。
A book from the time of the Ryukyu Kingdom including work by Kishaba Chōken,『琉球見聞録』、『琉球三冤録』と共に喜舎場朝賢作の琉球王国末期の基本文献。
A book from the time of the Ryukyu Kingdom including work by Kishaba Chōken,薩摩の史家、伊地知季安(いじちきあん)が著した史書の写本。筆写年代・筆写者ともに不明。
A copy of the history book written by Ijichi Kian, the Satsuma historian.薩摩の史家、伊地知季安(いじちきあん)が著した史書の写本。筆写年代・筆写者ともに不明。
A copy of the history book written by Ijichi Kian, the Satsuma historian.薩摩の史家、伊地知季安(いじちきあん)が著した史書の写本。筆写年代・筆写者ともに不明。
A copy of the history book written by Ijichi Kian, the Satsuma historian.説話集。正史『球陽』の付巻として1745年成立。鄭秉哲(ていへいてつ)等編。本来4冊だが第三巻1冊を欠いている。
A collection of legends.説話集。正史『球陽』の付巻として1745年成立。鄭秉哲(ていへいてつ)ら編。本来4冊だが第三巻1冊を欠いている。
A collection of legends.説話集。正史『球陽』の付巻として1745年成立。鄭秉哲(ていへいてつ)ら編。本来4冊だが第三巻1冊を欠いている。
A collection of legends.説話集。正史『球陽』の付巻として1745年成立。「遺老説伝」とは、本編には収められない古老の伝説を集める意で、全体141話が収められている。鄭秉哲ら編… A collection of legends.
説話集。正史『球陽』の付巻として1745年成立。「遺老説伝」とは、本編には収められない古老の伝説を集める意で、全体141話が収められている。鄭秉哲ら編… A collection of legends.
説話集。正史『球陽』の付巻として1745年成立。「遺老説伝」とは、本編には収められない古老の伝説を集める意で、全体141話が収められている。鄭秉哲ら編… A collection of legends.
説話集。正史『球陽』の付巻として1745年成立。「遺老説伝」とは、本編には収められない古老の伝説を集める意で、全体141話が収められている。鄭秉哲ら編… A collection of legends.
陳侃(ちんかん:1489-1538)は浙江省鄞県の人で、尚清王の冊封正使(さくほうせいし)として1534年(嘉靖13)に来琉。
Chen Kan (1489-1538) of Zhejian in Yin County, China, visited Ryukyu in 1534国文学研究資料館が推進し、琉球大学が参画している「日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」によりデジタル化された資料です。
徐葆光(じょほこう)は江南の蘇州府長州県の人で、1719年(康熙58)に尚敬王の冊封副使として来琉。これは冊封の顛末をまとめたものである。
Xu Baoguang, originally from Suzhou City in Changzhou Prefecture, South China徐葆光(じょほこう)は江南の蘇州府長州県の人で、1719年(康熙58)に尚敬王の冊封副使として来琉。これは冊封の顛末をまとめたものである。
Xu Baoguang, originally from Suzhou City in Changzhou Prefecture, South China徐葆光(じょほこう)は江南の蘇州府長州県の人で、1719年(康熙58)に尚敬王の冊封副使として来琉。これは冊封の顛末をまとめたものである。
Xu Baoguang, originally from Suzhou City in Changzhou Prefecture, South China徐葆光(じょほこう)は江南の蘇州府長州県の人で、1719年(康熙58)に尚敬王の冊封副使として来琉。これは冊封の顛末をまとめたものである。
Xu Baoguang, originally from Suzhou City in Changzhou Prefecture, South China徐葆光(じょほこう)は江南の蘇州府長州県の人で、1719年(康熙58)に尚敬王の冊封副使として来琉。これは冊封の顛末をまとめたものである。
Xu Baoguang, originally from Suzhou City in Changzhou Prefecture, South China徐葆光(じょほこう)は江南の蘇州府長州県の人で、1719年(康熙58)に尚敬王の冊封副使として来琉。これは冊封の顛末をまとめたものである。
Xu Baoguang, originally from Suzhou City in Changzhou Prefecture, South China国文学研究資料館が推進し、琉球大学が参画している「日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」によりデジタル化された資料です。
成立年代不明。主として護佐丸(ごさまる)について述べられた毛氏の先祖由来記である。
Date of completion unknown.成立年不詳。史料本文は筆書きであるが、裏表紙にはペン書きで「大正13年(西暦1924)11月」と記されている。漢文体である。
Date of completion unknown.『中山世鑑』の不備を『歴代宝案』等で補い、蔡鐸(さいたく)が漢訳し、更に蔡温(さいおん)が改修した琉球史書。
A history book of Ryukyu, in which Sai Taku translated the missing parts from1650年、羽地朝秀著。初めての琉球正史。主に中国の年号を用い和文で書かれている。
Written in 1605, by Haneji Chōshū.本書は琉球王国歴代の国相(こくしょう)と法司(ほうし)の名前や任職期間などを記した『中山王府相卿伝職年譜』の写本。
A manuscript of “Genealogy of the Chuzan Government” recording the names and向氏(しょううじ)六世朝智(ちょうち)を元祖とする向姓(しょうせい)家譜(辺土家)の抜き書きである。
An extract of the Shō Family genealogy (Hentona), started by Chōchi, 6th gene明治41年(1908)9月26日に真境名安興(まじきなあんこう)が筆写した玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)の家譜の記録である。
Records of the genealogy of Tamagusuku Chōkun, copied by Majikina Ankō on Sep記主はノ葉(へつよう)、後に操坦晋(みさおたんしん)。
Main author, Hetsuyō, afterwards Misao Tanshin.江戸時代、日本において刊行された琉球に関する出版物の一つであり、本書は天保3年(1832)に大田南畝(おおたなんぽ)の遺稿として刊行された。
One of the publications produced in Edo era Japan about the Ryukyu Kingdom, t島津侵入以前に、ある男が琉球へ渡りひと儲けしようとし、まず鹿児島へ行き医者の弟子になって足に塗る薬の伝授をうける。
Before the Shimazu Invasion, a man came to Ryukyu to earn a living.絵6枚 みの紙 筆写本 26cm
Records of the occasion when Ryukyuan boats bound for Kagoshima drifted ashor前欠史料。本書は『独物語』と『御扶持方定』の写本。筆写者・筆写年代ともに不明。
Missing the beginning.「お新下り(おあらおり)」は最高神女である聞得大君が初めてその領地である知念間切に行き、斎場御嶽に参詣すること。即位式にあたる。
“Oaraori” is the first visit of the chief priestess of Ryukyu, the Kikoe-Ogim「お新下り(おあらおり)」は最高神女である聞得大君が初めてその領地である知念間切に行き、斎場御嶽に参詣すること。即位式にあたる。
“Oaraori” is the first visit of the chief priestess of Ryukyu, the Kikoe-Ogim琉球の最高神女職=聞得大君による儀礼の概要を記した文書である。内容は次のとおり。
A text containing a summary of the rites of the Kikoe ōgimi (Ryukyu’s Chief P8月初8日 27枚 美濃紙。
A copy of the “Ryukyu Kingdom’s Chuzan Government Organisation”, compiled in筆者は物茂卿(ぶつもけい)。物茂卿は荻生徂徠(おぎゅうそらい)のことである。
Written by Butsu Mokei. Butsu Mokei is also known as Ogiu Sorai.著者不明。天保三年(1832年)国王の即位を謝恩するために謝恩使ら一行が江戸へ赴いた時の事が書かれている。
Author unknown.冬至の日に首里城正殿の御庭(ウナー)で行われる儀式に関する文書である。18の条文(一つ書き)からなる。冬至儀式は正月元日と同一。
A text about the rites carried out on the winter solstice in the garden of th国文学研究資料館が推進し、琉球大学が参画している「日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」によりデジタル化された資料です。
大正14年(1925)に県下学校の校長・教員が沖縄県庁学務課の島袋源一郎宛に提出した報告の綴り。
Findings given to Shimabukuro Genichirō who worked for the School Affairs Div筆者名、奥付け共に無し正月元旦から、12月除夜までの主に首里王府内の行事について、月ごとにその行事の由来と内容を記録したもの。
Without author’s name or publisher’s emblem.About events within the Shuri Roy表紙の『金浙兵制考』は侯継高(こうけいこう)撰『全浙兵制考(ぜんせつへいせいこう)』の誤りであり、本史料は附録の「近報倭警」を筆写したものである。
The “Kinsetsu heisei kou” written on the front cover, is Hou Ji Gao’s misinte屋嘉比朝寄(1716~1775)が編んだ琉球古典音楽の楽譜。117曲を収録。
Music from the “Ryukyu Koten Kyoku Ongaku” (Old Book of Ryukyuan Music), comp奄美・沖縄諸島に伝えられた儀礼歌謡「オモロ」を集めた歌謡集。首里王府が編纂し、1531(嘉靖10)年から1623(天啓3)年の間に成立。
A collection of ritual songs called Omoro, from various islands of Amami and奄美・沖縄諸島に伝えられた儀礼歌謡「オモロ」を集めた歌謡集。首里王府が編纂し、1531(嘉靖10)年から1623(天啓3)年の間に成立。
A collection of ritual songs called Omoro, from various islands of Amami and奄美・沖縄諸島に伝えられた儀礼歌謡「オモロ」を集めた歌謡集。首里王府が編纂し、1531(嘉靖10)年から1623(天啓3)年の間に成立。
A collection of ritual songs called Omoro, from various islands of Amami and奄美・沖縄諸島に伝えられた儀礼歌謡「オモロ」を集めた歌謡集。首里王府が編纂し、1531(嘉靖10)年から1623(天啓3)年の間に成立。
A collection of ritual songs called Omoro, from various islands of Amami and奄美・沖縄諸島に伝えられた儀礼歌謡「オモロ」を集めた歌謡集。首里王府が編纂し、1531(嘉靖10)年から1623(天啓3)年の間に成立。
A collection of ritual songs called Omoro, from various islands of Amami and奄美・沖縄諸島に伝えられた儀礼歌謡「オモロ」を集めた歌謡集。首里王府が編纂し、1531(嘉靖10)年から1623(天啓3)年の間に成立。
A collection of ritual songs called Omoro, from various islands of Amami and奄美・沖縄諸島に伝えられた儀礼歌謡「オモロ」を集めた歌謡集。首里王府が編纂し、1531(嘉靖10)年から1623(天啓3)年の間に成立。
A collection of ritual songs called Omoro, from various islands of Amami and田島利三郎が伊波普猷に譲った資料のひとつ。田島は明治26年に沖縄県尋常中学校に教師として赴任した。
One of the materials that was handed over to Iha Fuyu from Tajima Risaburo.田島利三郎が伊波普猷に譲った資料のひとつ。田島は明治26年に沖縄県尋常中学校に教師として赴任した。
One of the materials that was handed over to Iha Fuyu from Tajima Risaburo.奄美・沖縄諸島に伝えられた儀礼歌謡「オモロ」を集めた歌謡集。首里王府が編纂し、1531(嘉靖10)年から1623(天啓3)年の間に成立。
Omoro Sōshi, composed of 22 volumes in total, is a collection of 1,554奄美・沖縄諸島に伝えられた儀礼歌謡「オモロ」を集めた歌謡集。首里王府が編纂し、1531(嘉靖10)年から1623(天啓3)年の間に成立。
Omoro Sōshi, composed of 22 volumes in total, is a collection of 1,554奄美・沖縄諸島に伝えられた儀礼歌謡「オモロ」を集めた歌謡集。首里王府が編纂し、1531(嘉靖10)年から1623(天啓3)年の間に成立。
Omoro Sōshi, composed of 22 volumes in total, is a collection of 1,554奄美・沖縄諸島に伝えられた儀礼歌謡「オモロ」を集めた歌謡集。首里王府が編纂し、1531(嘉靖10)年から1623(天啓3)年の間に成立。
Omoro Sōshi, composed of 22 volumes in total, is a collection of 1,554伊波普猷が帝国学士院の補助を得て刊行したもので、『おもろさうし』として初めての活字本である。
The first printed book of the Omoro Sōshi texts, published by Iha Fuyu伊波普猷が帝国学士院の補助を得て刊行したもので、『おもろさうし』として初めての活字本である。
The first printed book of the Omoro Sōshi, published by Iha Fuyu with伊波普猷が帝国学士院の補助を得て刊行したもので、『おもろさうし』として初めての活字本である。
The first printed book of the Omoro Sōshi, published by Iha Fuyu with明治期の沖縄で結成された琉歌結社の一つ。戊申琉歌会の歌集である。戊申琉歌会は明治41年に結成。選者・点者は上江洲由具。
One of the Ryuka Societies formed in the Meiji Era in Okinawa.中扉に「大清嘉慶十年(1805)□□(乙丑ヵ)正月吉日求之/疱瘡歌并 和歌・暦・口説(併記) 集古名歌集文/粟国親雲上御供/波真川仁屋」とある。
On the front page is written “Received Qing Dynasty, 1805, January/ Collectio美濃紙 半罫紙 恩河玉山写筆 明治32年12月写。
Compiled on Iheya Island by Onga Chōyū (Gyokuzan) in December of 1899, record琉歌集。本文1丁表から5丁表まで教訓歌36首、8丁表「かきやて風」から86丁裏「あかさ節」まで59節547首の琉歌を収録している。
A collection of Ryuka.口説(クドキ・クドゥチ)は叙事的な長編の歌である。
“Kudoki” (kuduchi) are long descriptive poems.琉球の古謡である「クェーナ(くわいにや・こゑな)」のなかでも「大城クェーナ」「兼城クェーナ」「ウリヂンクェーナ」「アガリユウ」「ヤラシクエナ」を収録… Contains some of Ryukyu’s old folk songs, Kwēna; Ōshiro Kwēna, Urijin Kwēna,
沖縄本島及び周辺離島で歌われた儀礼歌謡の歌詞を集めたもの。
A collection of ceremonial songs sung on the mainland of Okinawa and the surr宮良當壮編「沖縄の人形芝居」にて「京太郎詞曲集」として掲載されている。
Inserted as “Collection of prose of Chondarā” in Miyara Toso’s “The Puppet Sh宮古島の歌謡である「あやご(アヤグ・アーグ)」や八重山の民謡を収録した資料。「あやご」は明治40年宮古島祥雲寺にて「安興」による筆写。
Contains Ayago, songs from Miyako Island, and folk songs from Yaeyama.琉歌集の写本。筆写年代・筆写者共に不明。
A copy of a collection of Ryuka.同治11(1872)年 写 12枚
Records of the Buddhist songs, sung in the month of Bon (7th month of the old玉山は恩河朝祐のことである。伊平屋島に於いて明治33年1月に書き写された琉歌である。伝承歌を中心に384首を収め、歌の右肩上に小さく作者を示す。
Gyokuzan is also known as Onga Choyu.明治33(1900) 1冊 16枚。玉山とは恩河朝祐のことである。琉歌や組踊集についての疑問を箇条書きで書き並べたもの。
Gyokuzan is also known as Onga Choyu.恋の歌、花の歌など、テーマごとに100を超える数の歌が収められている。
More than 100 different themes of songs are recorded, such as songs about lov部立を示す見出し等はないが、歌は春、夏、秋、冬、恋の順に並べられている。
There are no headings to show which section is which, but songs are arranged国文学研究資料館が推進し、琉球大学が参画している「日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」によりデジタル化された資料です。
部立を示す見出し等はないが、歌は春、夏、秋、冬、恋の順に並べられている。
There are no headings to show which section is which, but songs are arranged「かぎやで風節」「恩那節」「長伊平屋節」「白瀬走川節」「金武節」等の琉歌、口説等75首をおさめる。末には「三味絃説」を収録している。
Around 75 Ryuka and Kudoki recorded, including Kagiyadefu, Unnabushi, Nagaiheかぎやで風節をはじめとする100以上の琉歌が集められていて貴重である。田港朝春という人物については不明。
An important resource containing more than 100 Ryuka, starting with Kagiyadef「春の部」琉歌を、春の部・夏の部・秋の部・冬の部・恋の部・雑の部の六つの部立に分けた部立による琉歌集で、1080首の琉歌を収録している。
“Spring”1080 songs recorded, split into Spring, Summer, Autumn, Winter, Love「冬の部」筆写者・年ともに不明。
“Winter”Author and year unknown.初頁に「此の歌集ハ友人恩河朝祐君の公務を帯ひて伊平屋島に出張せし折に同島の某家所蔵の古本より寫して特に予に贈りたるものなり 仲吉朝助記(… On the first page of the book is written “This collection of prose was given
最も古い琉歌集。三味線歌謡としての琉歌を集大成したもの。
The oldest collection of Ryuka.琉歌100首のほか、金武節や仲風節など20以上の節歌、口説などが収められている。
As well as 100 Ryuka there are also more than 20 songs, such as Nakafū bushi前欠。「恩那節」「長伊平屋節」「白瀬走川節」等の琉歌66首をおさめる。
Missing the beginning.田島利三郎が収集した宮古島の歌謡集。『宮古島之歌上』『宮古島之歌下』の二分冊である。
A collection of songs from Miyako compiled by Tajima Risaburō.宮古島旧記より仲宗根豊見親に関する「あやご(アヤグ・アーグ)」や、上納布についてのアヤゴが筆写されているほか、多良間島・池間島・… Copies of Ayago relating to Nakasone Tumiya, and Ayago about payments to the
原本の存在は未詳である。現存する写本はこの田島利三郎筆写の抄本で「明治丗年正月二十日 随々菴主 語学材料 第拾八」とある。
Unknown whether the original book is still in existence.琉歌集の一つ。系統を同じくする三つの刊本があるが、その一つ。富川本は1911年12月発行。編輯兼発行者富川盛睦。表題に<古今琉歌集 再版>とある。
A collection of Ryuka. One of a collection of three.本資料の副題に「琉球詞和解」とあるが、琉球語を和訳したものではなく、中国語を和訳したものである。
Not a translation of the Ryukyuan language to Japanese, but a translation of1706~13年頃成立。首里王府の女官の名称と職掌について記し、歌謡36首を採録する。
Completed between 1706-13.本史料は琉球方言の辞書。乾坤2巻。1711年に王府の事業として編纂された。王府の宮廷語を和文で解説している。
A dictionary of the Ryukyuan dialect. In two sections.田島利三郎集録の「語学材料」のひとつである。
One of Tashima Risaburō’s compilation of “Gogaku Zairyō” (language study mate田島利三郎が明治27年の10月15日から着手したもので、『万葉集』の古語と琉球語とを比較したもの。4巻まで完成しており、5巻以降未完である。
Started by Tajima Risaburō on October 15th 1894, comparing ancient Japanese l田島利三郎の覚書。五十音順に語彙と解説が並べられておさめられている。また、後半には「口説」や「那覇木遣歌」も収録されている。
Notes from Tajima Risaburō.田島が明治三十年の七月三十日に着手したもので、オモロの語彙集ともいえるものの未定稿である。田島はいずれおもろの辞書を作成しようとしていたものと思われる… Started by Tajima on July 30, 1900, an unfinished manuscript of vocabulary us
国文学研究資料館が推進し、琉球大学が参画している「日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」によりデジタル化された資料です。
国文学研究資料館が推進し、琉球大学が参画している「日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」によりデジタル化された資料です。
本書は、『南島雑話』の中の「南島雑話附録」の一部「二字話三字話長短雑話」の写本。内容は奄美方言の単語を読み方や意味の解説を附して列挙したものである。… A copy of a section of the appendix of the “Miscellaneous Accounts of the Sou
石沢兵吾(いしざわひょうご)著。1889年、東陽堂より発行。
Written by Ishizawa Hyogo. Published in 1889, by Toyodo.紅型の見本帳。実物貼込2点、原色版印刷12点、木版印刷21点の計35点を収める。紅型を紹介した最も初期の単行本。別冊で伊波普猷著『古琉球紅型解題』を付す… A book of Bingata samples, 35 all together: 2 swatches, 12 plates of pieces p
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