仲宗根政善文庫 / Nakasone Seizen Collection

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概要

「仲宗根政善言語資料」について

琉球大学名誉教授の仲宗根政善先生が,第二次対戦後50年の節目にあたる1995年2月14日に89歳で亡くなられました。琉球大学附属図書館の館長をなさったことがあり,附属図書館に由縁のある仲宗根政善先生の方言学を中心とした6万7千余頁におよぶ直筆の研究資料が平成2年に附属図書館に納められました。

仲宗根政善先生は,法文学部国文科を1975年に退官なさるまでの23年間,ご自身の郷里,沖縄本島北部の今帰仁の方言を中心とする琉球方言の研究をなさるかたわら,学生の教育にあたられ,多くの研究者を育てました。1983年に『沖縄今帰仁方言辞典』を著し,沖縄出身者としてははじめて学士院賞を受賞されました。

仲宗根政善先生は,研究者,教育者としても著名な方ですが,先の大戦で沖縄師範女子部の教官としてひめゆり学徒隊を引率し,多くの教え子を失うという自らの体験と生き残った女子生徒たちの証言を『沖縄の悲劇-姫百合の塔をめぐる人々の手記』(1951年, 華頂書房) にまとめるなど,生徒たちの供養を続けながら,戦後一貫して平和と命の尊さを訴え続けてきたことで多くの人々に知られています。

琉球大学附属図書館におさめられた資料は,仲宗根先生がご自身で業者に製本させたものもありますが,ほとんどがバインダーで綴じられただけであったり,原稿用紙,ノート,各種の調査票など,形態もさまざまで,そのままでは多くの人々の閲覧は不可能でした。そこで1991年11月から狩俣幸子が附属図書館の委託を受け資料整理を行いました。資料はテーマ別にまとめられ,目次もつけられて300冊に製本されました。

御存知の方が多いと思いますが,仲宗根政善先生は戦前に集められたすべての研究資料を今大戦で失ってしまわれました。附属図書館におさめられた資料は,仲宗根先生が琉球大学に赴任し,戦後の混乱期の教育復興の仕事から解放され,やっと方言研究のできる条件が整い,ガリ版刷りの調査票を作成して方言研究を開始なされた1953年あたりから1989年頃までの方言研究に関するものが主です。

戦後まもなく沖縄群島政府の文教局に勤めておられた間に書きとめられた雑記や仕事上の記録,荒廃したなかで行われた教科書編纂に関わる資料,23年間の琉球大学での講義ノート,琉球大学副学長をなさっていた頃の日記も含まれています。

沖縄戦に関わる資料は「ひめゆり平和祈念資料館」に保存され,活用されることを仲宗根先生は望んでおられたようで,ここにはわずかの資料しかありません。

図書館におさめられた資料は琉球方言に関するものがほとんどですが,その中でも特に今帰仁方言に関するものが多く,とりわけ目を引くものとして『沖縄今帰仁方言辞典』(1983,角川書店) の完成に至るまで,5回以上の書きかえ,補いを経た稿本があります。

最初の「今帰仁方言集」には,扉に「国立国語研究所に保存するために」と記され,冒頭には先生の生まれた今帰仁村与那嶺部落の写真が張り付けられています。語彙集の後に音韻,文法に関する記述もあり,まとまった形になっています。その後,1963年に刊行された『沖縄語辞典』に刺激されてハワイ研修中に整理し直したのが「今帰仁方言集上・中」(1884頁)と思われます。それがさらに整理されて3巻本へと発展しています。その後さらに,『沖縄語辞典』の索引の項目をすべて書き出し,対応する今帰仁方言,関連する語彙,慣用句を連続して書き込み,29巻本の「沖縄今帰仁方言辞典-草稿-」が書き上げられます。この29巻本は,語彙集というよりも「仲宗根政善私家版今帰仁方言百科辞典」とでも称すべき体裁になっています。見出しに挙げられた単語に関連して,今帰仁方言,オモロ語,関連する他の地域の方言,思い出を綴った随筆,論文,新聞記事など,それぞれの項目に関係する資料が手に入った段階で次々に挿入される方式になっており,さまざまな情報がすぐ探せるようになっています。五つめの「今帰仁方言辞典草稿」22巻本は『沖縄今帰仁方言辞典』のもとになり,角川書店に入校された原稿です。

以上のように,『沖縄今帰仁方言辞典』が5回もの書き換えを経て完成されたことが,のこされた資料から判ります。仲宗根先生の学問に対する謙虚さと厳正さとが直筆の膨大な方言研究の資料には反映されています。

今帰仁方言の文法に関する資料も多く,厳密な研究方法を駆使して正確に記述されています。音韻・アクセント,名詞・動詞・形容詞・副詞・感動詞・接続詞・連体詞・助詞・助動詞などすべての言語の単位の語法について詳述し,辞典と同様,何度も書き改められていて,同じ観点から記述された研究資料がいくつもあり,重複もあります。なかでもアクセントの記述は数が多く群を抜いています。今帰仁方言の動詞についての記述も多く,動詞の活用形と用例,国語との比較対応など,記述研究は詳細に及んでいます。助詞の研究はこれまでの他の琉球方言の研究には見られない記述がなされ,すべての助詞がリストアップされ,その用法の記述も詳しく,助詞と助詞の接続関係,動詞,形容詞,助動詞の各活用形との接続関係とその助詞の用法など,詳しい記述がなされています。

仲宗根政善先生は,辞典を編纂し,文法の記述を行いつつ,それらの研究とは異なる面から今帰仁方言の単語の語源や意味の記述や,ことばにまつわる思い出や村の生活の様子などを綴った随筆風の文章も数多くあります。市販の文芸日誌などに「単語の研究」「方言漫歩」「方言単語」と題してまとまったかたちでのこされた原稿の中から,一般の読者にも読みやすい内容のものが選ばれ『琉球語の美しさ』(ロマン書房)として1995年7月に刊行されましたが,のこされた文章の中に,家族,郷里に対する仲宗根政善先生の愛情の深さを読むことができます。

今帰仁方言の研究以外にも,多くの地域の方言の資料がありますが,特に宮古方言,久高方言,与論方言などの研究がまとまった形で記述されています。

琉球方言全体に関わる研究資料もあります。アルファベット順に項目が挙げられ,琉球方言に起こったあらゆる方言の音韻変化の現象がわかるよう,子音の脱落現象のある方言の地域が子音ごとに記入されたり,母音変化の地域差などが網羅的に記述されています。

沖縄学の父と称される伊波普猷が唯一弟子にしたかったといわれるほど,仲宗根政善先生と伊波普猷との親交は緊密なものだったようですが,その伊波普猷が果たせなかった「琉球語大辞典」の作成の夢を仲宗根政善先生は受け継いでいこうとなされたと思われる資料がありますが,未完成のままです。また,伊波普猷についての研究や思い出を綴った資料ものこされています。

「おもろさうし」に関する研究も多く,「おもろさうし」の詞章についての言語学的な観点からの注釈・解釈がなされ,「おもろ研究会」の研究成果も盛り込まれています。オモロ語についても品詞ごとに研究されていて,『おもろさうし』の言語学的な研究資料は公表されたものが少ないだけに伊波普猷後の研究の水準を知るうえでも貴重な資料となると思われます。

仲宗根政善先生は1958年から1962年まで,国立国語研究所の地方研究員として『日本言語地図』作成のための調査に参加しました。その時の調査の資料があります。仲宗根政善先生は国立国語研究所が要求した45の地域の方言以外にもご自身から進んで,いくつもの地点を調査されていて,「精密な音声の表記で記録されたこれらの資料は今日でもその資料的な価値は高い」と上村幸雄先生(琉球大学名誉教授・現名桜大学教授)はおっしゃっています。仲宗根政善先生の東京大学在学時代からの親友である服部四郎先生(東京大学名誉教授)が作成された言語年代学的な調査のための,方言の基礎語彙の調査もずいぶんなされたようで,その資料も数多くのこされています。

仲宗根政善先生の厳密で慎重な研究態度はのこされた資料にみることができます。生前に発表された研究論文は『琉球方言の研究』(新泉社)としてまとめられていますが,その研究態度ゆえに,仲宗根先生のその仕事の量に比して,公にされた研究業績が決して多いとはいえません。それだけに,附属図書館におさめられた資料は,仲宗根政善先生の仕事を展望し,戦後の琉球方言研究を知るうえで非常に大切なものとなるでしょう。

教育者としての仲宗根政善先生を知るうえでは戦後の教育復興にご尽力された教科書編纂の仕事は欠かせません。「新教育のあゆみ」は,どのような教科書を編集しようとしていたのか,これなくしては戦後の教育の復興の様子は語れないと思われる内容の原稿です。戦争で荒廃した沖縄の教育はいかにあるべきかという教育理念,教育の具体的な内容などが,紙などの乏しかった時代をうかがわせるように,娘の英語の練習用紙の裏に書かれています。

琉球大学に赴任して大学教育に携わるようになると,仲宗根政善先生はアメリカなどの大学教育のあり方に学びながら,琉球大学はどんな教育を目指すべきかを書き綴った大学ノートもあります。アメリカ軍政下に開学し,特異な性格をもった琉球大学の設立の問題,土地闘争の時の学生処分の問題などを書き綴ったノートもあります。

講義ノートも毎年新しく作られていたようで,講義で話すそのままに文章化されてのこされています。国語学の講義ノートには新学期の最初の講義に際して,学生たちに大学で何をいかに学ぶかといったような内容の動機づけを行ったようで,その文章がのこされています。多くの教え子に慕われ,研究者を育てた仲宗根先生の教育者としての一面をうかがうことができます。

仲宗根政善先生は方言資料と並んで数多くの「日誌」「雑記」をのこされています。中には後日他人に読まれることを意識してお書きになったものと思われるものもあり,文体が整い,文学的な文章ともいえます。仲宗根先生の人と思想を知るうえでは欠かせない貴重な資料となるでしょう。

これらの琉球大学附属図書館に納められた資料は,仲宗根政善先生の琉球方言研究の第一人者としての側面だけでなく,平和運動家,教育者としての側面など,多面的に知るうえで貴重なものといえるでしょう。

狩俣 幸子(本稿は「びぶりお」No.108(1995)に掲載された原稿に加筆したものです。)

狩俣幸子1997「[編集後記]琉球大学附属図書館蔵「仲宗根政善言語資料」について」 
(『仲宗根政善言語資料(手稿)目次集』琉球大学附属図書館)より転載

 

本データベースの概要

本データベースは、1990年琉球大学附属図書館に納められた「仲宗根政善言語資料」にインデックスを付し、画像データ化された手書き資料をインターネット上で検索して利用できるよう公開するものである。

仲宗根政善 (琉球大学名誉教授 1907-1995 没)は、琉球列島各地の方言を調査研究された著名な学者である。その功績により沖縄県出身者として初めて日本学士院賞を受賞されている。また、仲宗根政善先生は、先の沖縄戦では沖縄師範女子部の教官としてひめゆり学徒隊を引率し、自決しようとする生徒に命の尊さを説き、捕虜として投降、戦後は生き残った生徒の手記と自らの手記とを合わせて『沖縄の悲劇-ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』(華頂書房、1951)を出版した。研究者、教育者、平和主義者として多くの人々から敬愛された方である。

その仲宗根政善先生が書き残した手書きの原稿、調査ノート、資料、メモ、日記など9万2千ページにおよぶ膨大な資料が整理され、323冊に分類、製本された。そして、その目次が一覧できるように『仲宗根政善言語資料(手稿)目次集』が琉球大学附属図書館から刊行されている。

本データベースは、その資料9万2千ページのうちの2万ページを画像データとして取り込んでデータベース化し、『仲宗根政善言語資料(手稿)目次集』をもとに作成した一覧表から検索して附属図書館のホームページ上でひろく公開するものである。

本データベースの意義

仲宗根政善先生は、『沖縄今帰仁方言辞典』(角川書店,1983年)、『琉球方言の研究』(新泉社,1987年)の2冊の著書を出したが、これは残された原稿や資料の膨大な量に比べると、ごくわずかな量でしかない。 公にされた論文や著書 が少なかったのは、米軍占領下の沖縄で、しかも中央から遠く離れていて発表する機会がすくなかったこと、さらに、仲宗根政善先生の学問に対する慎重で謙虚な態度からきているものである。

未発表原稿は、きれいに清書されているだけでなく、朱筆も入ったものもある。日本学士院賞の受賞の契機になった『沖縄今帰仁方言辞典』の姉妹編として用意されていた「文法編」もある。出版社から刊行する話もあったが、量が多すぎること、複雑な音声記号の活字化と校正作業などがネックになっていた。

多くの資料が鉛筆などの手書きによるもので、なかには終戦後の物不足のころに入手した質の悪い紙に書かれたものもあり、保存状態は決してよくない。その意味で画像としてとりこんで電子化し、インターネットを介して公開することは資料保存のうえでも必要であった。また、手書きの言語資料を画像化してデータベース化することによって、精密な国際音声記号を入力して文字情報としてデータベース化する際に生ずる誤植や作業の非効率を排除することができた。

日本の音声学研究の第一人者であった服部四郎東京大学名誉教授は、仲宗根政善の東京大学在学時代の先輩であり、戦後もずっとかわらぬ関係がつづいていた。仲宗根政善先生はその服部先生から直接に音声学のてほどきをうけていて、仲宗根政善先生の方言の観察はきわめて正確で、のこされた言語資料はもっとも信頼できるものだといえよう。「仲宗根政善言語資料」には、先生の郷里の今帰仁方言だけでなく、沖縄本島はもとより、宮古、八重山、奄美などの方言が精密な国際音声記号によって記録されている。

琉球列島の伝統的な方言の多くは、とりわけ1972年の本土復帰後の社会変化にともなって方言そのものが変容し、若い世代への継承がむつかしく、21世紀末までには消滅するのではないかと危惧されている。仲宗根政善先生は伝統的な方言が変容する以前の1960年代におおくの調査をおこなっており、その意味でも「仲宗根政善言語資料」は、きわめて価値の高い琉球方言研究の資料であるといえるだろう。

話者人口、面積ともに日本の1パーセントに満たない 琉球方言 であるが、日本語を本土方言と二分する大方言であり、日本語の歴史、ひいては日本人の起源を探る上で重要な位置を占め、多くの研究者が調査のために沖縄を訪れている。『沖縄今帰仁方言辞典』を使った国内外の若手研究者による研究論文も少なくない。本データベースは、これまで以上に先生の資料の活用を可能にするものであり、琉球方言研究の発展に寄与することが期待できる。それは先生が希望していたことでもある。

言語研究以外の資料について
仲宗根政善先生は、戦後すぐ、沖縄群島政府の文教局で教育の復興にあたり、琉球大学に移られてからは副学長、図書館長を歴任されているが、「仲宗根政善言語資料」のなかには、当時の状況を書きしるした日記やメモなどがふくまれている。この資料は米軍占領下の状況、戦後沖縄の教育復興の様子などをしるうえで、貴重なてがかりとなるものである。

仲宗根政善先生は、『沖縄の悲劇-ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』の編著者としてよくしられているが、たくさんのひめゆり関係の資料ものこされている。そのほとんどは「ひめゆり平和祈念資料館」におさめられているが、一部が琉球大学附属図書館の「仲宗根政善言語資料」にふくまれている。

また、先生の研究活動のなかで方言研究とならぶ(方言研究の一部ともいえる)ものとして、「おもろ語」の研究がある。沖縄学の父といわれた伊波普猷ともふかいつながりのあった仲宗根政善先生は、『おもろそうし』の研究にも関心をもたれていて、1969年に先生のお宅で池宮正治、玉城政美、比嘉実など若い研究者たちと「おもろ研究会」を20年以上にわたって開催していたが、そこで先生が全首につけたかきこみ「おもろさうしの研究Ⅰ」~「おもろさうしの研究Ⅵ」や「おもろの助詞Ⅰ」「おもろの動詞」などのおもろ語の文法的な研究の成果などがある。

なお、仲宗根政善著『沖縄今帰仁方言辞典』は、科研費データベース「 琉球語音声データベース 」を得て1万3千の全項目と例文が実際の音声とともに附属図書館のホームページ上で一般に公開されている。あわせてご覧になっていただきたい。

研究参加者
研究代表者 宜保清一(琉球大学附属図書館長)
狩俣繁久(法文学部 教授)
大胡太郎(法文学部 助教授)
波照間永吉(沖縄県立芸術大学教授 附属研究所所長)
研究協力者 島袋(狩俣)幸子(琉球大学非常勤講師)
協力者 島袋(狩俣)幸子(琉球大学非常勤講師) 
「仲宗根政善言語資料」の整理・分類、『仲宗根政善言語資料(手稿)目次集』のいずれも先生のお弟子さんの一人で、先生と同じ今帰仁村出身の島袋(狩俣)幸子さんがおこなっていて、本データベースの作業でも協力をいただいた。

(2002年初出)