證文
屋敷壱囲
但代米御物拵穀三石弐斗五升起所遣座納穀
右私事宮良村*江*御物穀返弁有之早々返上
不仕候*而者*不叶事*ニ而*此程段々相働候得共不身帯
之上自分作得之稲粟致不出来返印弁尤之
手當一ゑん不相調候付右屋敷賣拂返償仕度
折角相働候得共當年*者*三四月之比*より*霖雨降續
其上及両三度*ニ*大風吹起奉公人百姓等作得之
稲粟右逢災殃委ク致不出来世上一統差迫リ
年貢上納米調方及難儀漸賣拂等を以取償
仕候砌柄*ニ而*右屋敷買取候方壱人迚も罷居不申
進退行迫リ礑*与*驚入居申次第御座候間
何卒此涯御隣愛之御助を以但書之代米*ニ而*
御物返弁仕させ候様御取計得可被成下候左様御達
被下候ハヾ御恩情之程難有之感心永代〓〓(返却カ)
賣上可申候尤子孫々迄取帰之企一切申上間敷候
為後証如斯御座候以上
同治十二年酉 宮良村耕作筆者
九月三日 西表仁屋[印]
右通賣上候儀相違無御座候自然至後年
取帰之企於罷在*ニ者*私居屋敷*より*一言無口能
可被押取候為後証如斯御座候以上
同治十二年酉 同仮若文子
九月三日 西表仁屋[印]
若文子
石垣仁屋

現代語訳

「証文」

屋敷地一囲(ひとかこい・一軒分)。

ただし、首里王府への年貢米3石2斗5升起、所遣座へ納める米の代償として。

私西表仁屋が宮良村へ「御物穀」(おものこく・王府へ納める年貢米)のうち返済すべき分があり、早々に返還しなくてはならない事であり、このところいろいろ手を尽くして働きましたが、財産がない上に、自分で作っております稲や粟が不作で、返済の用意がまったく調わないので、上記の屋敷を売却して弁済したいと、あれこれ手を尽くしましたが、今年は三四月の頃から長雨が続き、その上、二、三回も台風が来て、奉行人や百姓たちが作る稲や粟が被害に遭い、ことごとく不作になりました。世間は全て窮迫し、年貢上納米の調達も困難になり、なんとか物を売る方法で、(年貢分を)弁済した状況であり、上記の屋敷を買い取る方は一人もおりませんでした。進退窮まり、とても驚いています。どうか今回愛憐のお心でお助けいただき、但し書きの代米で御物米(王府への年貢米)を返済させるように、ご計画されてください。そのようにご命令が下されたならば、ご恩情に感動いたし、永代にわたって売却いたします。また、子々孫々に至るまで、屋敷を取り返すというような企ては一切申し上げません。

後の証拠とするため、このように証文を認めました。以上。

同治十二(1873)年(酉)九月三日、宮良村耕作筆者西表仁屋。

前述のように、屋敷を売却したことは、間違いありません。万一、後年に至って、取り返そうとする企てがあるような場合は、私の居住する屋敷を差し押さえられても一言も抗弁いたしません。後の証拠のために、添え書きします。以上。

同治十二年(酉年)九月三日。同宮良村仮若文子西表仁屋。

若文子石垣仁屋様宛て。

最終更新日 / last updated date
2020-07-31

引用の際には以下の情報を参考にご利用ください。

『証文』宮良殿内文庫MI196(琉球大学附属図書館所蔵), https://doi.org/10.24564/mi19601